私の職務経歴について(5)上場企業編

前回までのあらすじ

会計や経理に興味があり個人事務所を受けたところ見事に合格した私。待ち受けていたものは×××からの段ボール、1から10まで習うより慣れよの放任主義、証憑を用意してくれない顧問先だった。近づいてくる申告期限、税金を払いたがらない顧問先、前期以前の謎の仕訳......、いろいろあったけれど、小さい会社の経理まわりは分かるようになった私はステップアップのために、上場企業での経験を積みたいと思うのであった。

 

本題

まず、最初に私は人生で一度やり直すことができるのであれば、この個人事務所の後の就職先を選び直したいです。理由は、私の市場価値はこのとき自分が思っていたよりも高かったのではないかということです。私はこの後、某上場企業で税務会計などを担当することになるのですが、もしもやり直すことができたら、そのときに転職した企業よりたくさんの連結会社が山ほどある企業に就職して、子会社の経理から始めて、連結会計をガッツリやってみたかったです。ちなみに、今の職場には全く不満はないですし、高く評価してもらっていると思っていますし、これから話す企業でも評価は高かったと思います、自分で言うなよって話ではあるのですが。

私が個人事務所をやめたのは3月末(個人の確定申告が終わるまで)だったのですが、年始から仕事終わりに面接を入れ始めていたものの、マイナビ転職で応募していた会社に応募して、面接したら、また1つ目で受かってしまったので転職活動をすぐ終えることになりました。

このときは2回面接があったのですが、1回目の面接の部長の態度がはちゃめちゃ悪くてびっくりしたのと、2回目の面接で事業部長に「どんな仕事でもやりますか?」って聞かれて「......えっ、粉飾とかは無理です」って答えたら「いや、粉飾はさすがにない(笑)」って言われて(あー)という気持ちになったことを覚えています。3回目に本当は社長面接があったのですが、社長が忙しくて面接できないということで、1か月足らずで私の転職活動は終わりました。マイナビ転職じゃなくて、リクナビにも応募するんだったなー。マイナビの方がリクナビと比べて安いので、資金力がない会社はマイナビなんですよね。自分はまだそこまでスキルがないって思ってたんですよね、20代だからチャレンジして良かった。

さて、受かった上場企業での最初の仕事は経費処理(費用や固定資産の計上から、支払先への支払データ作成まで)でした。これで月の半分くらいは潰れてました。当社ではグループ会社は各々の経費処理をしていましたが、私の勤務先では全社の経費が請求書と一緒に各事業部の承認書がくっついて経理部門に届いて、経理が記帳から支払いまで一括でやってました。一部クレジットカード支払いがあったけど保守的で現金、もしくは手形の支払になってました。紙の手形はなくなるらしいですね、素晴らしいことです。決算の際には経理部門の中で科目ごとに担当者が割り振られていて、それらをスケジュールに合わせて期限内に作成していくかたちでした。私は最初は支払を担当していたから、買掛金、未払金、未払費用、前払費用あたりをやっていました。めちゃくちゃ古いシステムを使っていたのですが、クエリがいくつもあって、指定したクエリを吐き出して、先輩社員からもらったエクセルのボタンを押すとマクロが組まれていて、なんかよく分からんが勘定科目内訳書の一部ができあがるという、ブラックボックス満載の感じで、上場企業ってこんなにエクセル駆使して仕事してるのか、勉強していかないとついていけないぞとなったことを覚えています。支払ルールも、銀行振り込み、口座振替、手形、でんさいといくつもあって、それらを名寄せしないと支払いデータ作れないとか、本当にここでエクセルを触ることになったのはいい勉強になりました。今はもう覚えてないけど。

元が事務所あがりの人間だったので、すぐに未払法人税等も担当することになりました。勤務先では税務申告書を内製していたこともあって(私がそういう仕事をしたかったからそういうことをしてもらえる企業しか応募してなかった)、税務申告書と合わせて税効果会計(注記まで)を作ることになるのですが、税効果会計が全く分からなかったうえに、エクセルに()でくくられてる数字がマイナスを意味するっていうことも知らなかったんでだいぶやばかったです、税効果の注記によっては別記で拾わなくちゃいけない内容も変わるんだけどそれに合わせてエクセルを調整しなくちゃいけないとか、意図的に循環させるようにしてるんだけど、間違えて使わないセルを非表示じゃなくて削除したらわけが分からなくなったとか。最初の1年は自分でも合ってるのか合ってないのか分からない(基本的に部長や事業部長から赤が入ってなんとかなってた)って感じでした。

2年目は来年から会計システムを変更するから、滞りなく業務ができるように支払い周りについて新しい会計システムの設定するというミッションが来ました。まあ、よく、2年目の人にやらせるよなとは思いましたが、期待して任せてくれたのだと思います。このとき、債権まわりは女性の係長、その他及び連結システムは男性の係長が担うことになるのですが、債権まわりの女性の係長は実質名ばかり係長で、男性の課長がほぼ設定をしていました。また、連結まわりは男性の係長が担当していたのですが、ほとんど何もしてなくて、恐らく係長が部長とは織が合わなくて、ぽしゃらせたいんだろうなという感じがしました。結局これは、私が辞めるより前の段階から子会社に置いて工事進行基準に伴う会計処理が正確に行われていないということが分かり(古いシステムと新しいシステムを子会社が平行稼働させることで発覚した)、男性の係長が部署移動した後で、何が反映されていて反映されていないのかの検証を私がすることになりました。

まあ、この時点で感じていらっしゃるかもしれませんが、私は先輩社員と自分との待遇の格差について非常に高いストレスを感じていました。外形標準課税の計算も端から端までしてる都合で社員全員の給与が視界に入ってくるんですよね、個人事務所でも他社の給料とか社員の間で給料の話とかはしたし、それがストレスに結びつくことはなかったんですが、この会社でずっと働き続けた場合の自分の将来とか待遇が透けて見えてしまって、嫌な気持ちになりました。

私が入社したときには部長、課長、係長(男女1名ずつ)、私、嘱託社員がいたのですが、課長は将来が期待されていることもあって2年目に異動、男性の係長は部長と合わなくて3年目に異動、女性の係長はそこそこ年も重ねていて決してモチベーションが高い人ではなかった、嘱託社員をフルに決算作業に携わらせるには重すぎるので、部長と私でほぼほぼすべての決算作業をせざるを得ず非常にしんどかった、でも、この中で嘱託社員を除けば給料が一番安いのは残業やりまくっても私だったんですよね。

もちろんこの業務のおかげでエクセルに詳しくなったし、イレギュラーな税額控除にもトライさせてもらえたし、会計システムの導入で3点セット(業務フロー、業務指図書、RCMの作成に携わることができた)なんかにも詳しくなったのは、今の会社でも生きています。事業部長は仕事もできて、人柄も良くて尊敬していました。

が、メンタルがダメになりました。有価証券報告書の作成まではやって退職したのですが、最後の3か月くらいは、2日に1日しか眠れず、眠るといつ目が覚めるか分からないので平日は5時台の電車に乗って6時から開く喫茶店で時間を少し時間を潰して8時くらいから事務所で仕事をして寝られそうだったら定時に帰る、眠くならないのであれば残業してキリのいいところまでやったら帰宅してシャワー浴びてスーツでとりあえず横になって目をつぶるみたいな感じでした。睡眠障害とそれに伴う鬱病ってことになったのですが、その前には睡眠導入剤による譫妄がでて、ツイ消しをしまくっていた時期はそんなタイミングでした。

もしもこのとき、自分の給料が、例えば、途中で異動した係長よりも高かったりしたら、もう少し気持ちよく働けていた気がしますし、連結にもっと深く携わることができたかもしれないなと思いますが、まあ、たらればですね。

面白い業務経験はできました。新しい会計システムのとき、エクセルのインポートエクスポートには書式が深く関わっていること、ナンバリングのルールを考えたり、勤務先では消費税を個別対応方式を採用していたので、勘定科目と事業部によって処理が変わるようにちょっとした式を書いたり、新しい会計システムでも支払いができるようにマクロを組みなおすとか、税法の改正や会計基準の変更に合わせてエクセルの設定をし直すとか、そういうのは凄く楽しかった。他自分ってこの仕事向いてるな~って思いました。自分から学びたくなる業務に携わることができるのは労働者としては幸せだと思います。資本主義の犬って感じですが。

 

そういうわけで、心が壊れたフレンズとなった私はこの企業を退職するわけです。転職先として考えていたのは、会計まわりの仕事、今の給料よりも年収が100万以上増える、私が心療により退職したがそれでも問題ない(残業時間が少ないとほぼ同義です)と言ってくれるところを条件にビズリーチをメインでやっていました。1か月に恐らく100社以上の求人票を見て、その中から3割ちょいを書類応募に出して、面接をするということをしていましたが、私が今務めている会社はビズリーチ経由ではなくリクナビの個人で応募したところです。なんてこった。

 

今はどうか知りませんが、私の場合、ビズリーチは腐るほどエージェントが来るので、2、3人の付き合うエージェントを絞って、対面、あるいは電話やウェブ会議で話し合って、それに見合った求人票が来るのですが、私の場合、一番のネックは年収でした。残業時間を減らして年収を100万以上増やすというのは無謀だったと当時から分かっていましたが、それでも書類選考や面接もいくつか進んでいたのでリクナビの案件が早く決まらなかったら年収を少し下げてもいいくらいに思っていました。経理部門の年収って自分の年齢だとそんなに高くないイメージでした、専門性が高くない(と思っていた)。残業時間が少ない経理部門だと、子会社系で、専門性が高くない、会社を締めて、グループ会社との取引を引っこ抜くだけだし(連結会計という視点をもつ経理が少ないからそれができない人間が多いのだが)、親会社より子会社の方が給料高いとはなかなかしづらいので、半年くらい粘ってダメだったら希望年収は下げるつもりでした。町の小さい会社で総務や労務とかもやりつつ経理をやるっていうのもありかなってくらいに思っていました。

 

でも、今の職場にはリクナビから応募して勤めてるし、結果的に経理や会計じゃない仕事をしているので、人生どうなるか分かりませんが、私は最初が派遣から始まって上がっていくしかない状況だったからこういう活動が出来たのだと思います。これが一流企業とかに勤めてたらこういう選択はできなかっただろうし、そもそもこういう職務経歴にはならなかったでしょうし、なので、あんまり人にアドバイスできることもないのですが、こういう人もいるんだなと思っていただいて、今は転職なんかも当たり前になってきているので、参考になればなと思います。いや、参考にならないかも。現職のことは、退職するときに退職エントリー記事でも書こうかな、いつになるか分からないけど。

 

では、ごきげんよう