解呪

30年くらいにわたって「かわいい」という言葉が大嫌いだったのだけれど、最近はそうもでなくなった。私が子どものころのかわいいという言葉はもっぱら女性に向けられたものであり、なんならそれは特定の女性に所与として与えられた何らかについて肯定的な評価を下すものであり、その評価は多数派の評価でもあり、共同社会における絶対的な価値を付与するような言葉として使われていたように感じていた。だから、そのかわいいというものに対する反論は実質不可能で、それに対する反論はコミュニティから疎外されることも厭わないような気持ちでなければいけなかったと思う。ただ、私は何らかのコミュニティに強く属していたわけでないし、そもそも属すことができなかった人間なのでそれによる何か被害とかがあったわけではないけれど、そのように機能するかわいいという言葉が凄く嫌いだった。

 

休職前、午後休をとってYSL展を行くときに、全身UJOHで、KIAIを入れていったのだけれど、そのときにイヤーカフもつけて出勤していた。私は隙あらば自分の語りたいことを部下に語ってしまうのだけれど、そのイヤーカフはアメーバのような、水面のような、動きのある大きなイヤーカフで、それが宝石の国のシンシャのようなものにも感じていたので、宝石の国が好きな部下に、このイヤーカフ、シンシャみたいでいいでしょーという話をしたら、それ凄くかわいいですと返って来て、凄く驚いた。それだけだったら良いのだけれど、既婚者の部下も私もそれ思ってました凄くかわいいと言っていて、かわいいという言葉はここまで広範なものまでカバーするように使われるようになっているのかと驚いたうえに、それが男性の自分が身につけているものにまで及ぶ言葉だということにとても驚いたのと、自分が今まで忌まわしく思っていたかわいいという言葉は、自分の想像によって悪く誇大化してしまっていただけだったということを感じた。良い悪い、正しい悪いというような、揺るがない価値ではなく、もっとゆるくどうとでもとれるが、肯定的な言葉として、今では使われているのかもしれない。その反面、そのような。対象に対して自分は好ましく感じるという言葉が、かわいいという言葉に収束しているということも同時に感じた。

 

いずれにせよ、私が思っていたほど、かわいいという言葉は社会の中で強いバイアスを持った言葉として機能はしておらず、少なくとも私の身の回りの人たちはそこまで意識せず気軽に使っている言葉だということには驚いたし、自分が考えすぎだったということを知ることができてよかった。私も、かわいいという言葉を使っていこうと思った。

 

では、ごきげんよう