LE SSERAFIMが新しいEP、CRAZYを出しました。このEP及びリードトラックであるCRAZYとタイトルは、ひとつ前のEPであるEASYの1曲目Good Bonesのリフレインされるフレーズ「easy, crazy, hot, i can make it」から取ったと考えるのが自然でしょう。
EASYというEPで提出したものは、LE SSERAFIMのアナグラムであるIM FEARLESS、恐れるものなどないほど強い、そう強くあることが私たちにとってはEASYだということを、Good Bonesのトレイラーにて、メンバー最年長であるサクラが目からビームを出してコンクリートの壁を破壊した後に鼻血を垂らしながら述べるというところにEASYじゃねえんだわ(笑)というようなユーモアがあり、私個人としては、LE SSERAFIMの中で好きなトレイラー、曲のひとつです。
そんな、俺の中で熱い曲のフレーズから取ってきたCRAZYというタイトル、果たしてどんな狂気を見ることができるのか楽しみでしたが、結果としては本当にしょうもない作品になってしまったというのが個人的な感想です。といっても、私が聞いたのは、1曲目Chasing Lightning、2曲目CRAZY、5曲目Crazierだけなので、まあ、はい。
1曲目のChasing Lighningは、LE SSERAFIMお得意の韓国語、日本語、英語が入り混じるポエトリーリーディングというか、おしゃべりからスタートするのですが、これが本当にセンスがない。かわいそうなくらいセンスがない。責任ある誰かが、変えようと言うべきだった。crazyというのは「頭がおかしい」とか「狂ってる」ということを意味する単語だということを私があらためて言うまでもなく知られていると思いますが、ここで繰り広げられている会話というのは、身体的、感情的、社会的な存在として、様々な不自由がある中で、今の自分の気持ちに素直になろう(実際、「感じるままに素直なのが私たちらしいでしょう」という台詞が入っている)というコンセプトだと思うのですが、こんなものはcrazyでも何でもなく、ただのワガママであって、強さではない、というのが私の感想です。
この曲で一番ムカついたのが、ヨーグルトはアレルギーあるけどそれでハッピーになるなら食べなきゃどうしようもないよねというような台詞があって、もしも狂気というものがそこにあるとすれば、私にとっては、ヨーグルトであると同時にアレルギー反応を起こさないものを発明する、みたいな、なんというか、飛行機がない時代に空を飛ぶための乗り物を一所懸命に考える、みたいな、その時代における常識(哲学における意味ではない)に反旗を翻すことが、狂気だと思うんですよね。そして、それを貫き通すことが、彼女たちから世の中に発してもらいたいものであり、誰に何を言われても私は私の心のままに信じる道を行く、「IM FEARLESS」という価値観で、そういうのじゃなかったんですか、LE SSERAFIMっていうグループは。
2曲目のリードトラックであるCRAZYでは、EDMを基調としながらバスドラム4つ打ちのハウスミュージックを意識したダンサブルな楽曲で、マドンナのVogueにはじまるVoguingと言われるスタイルを参照したダンスを、アメリカのVoguingを踊るダンスグループ、Iconic House of Juicy CoutureがMVに参加しています。まあ、既に1曲目で述べた通り、LE SSERAFIMというグループが当初持っていたメッセージ性が皆無のEPであり、詞の中に「ピカチュウ」とか「オタク」なんてところが傍からみたら珍しいものに見えるのかもしれないですし、EPが出される際に一部だけ公開された箇所ではメンバーの顔が巨大化するという奇形的なアプローチであったり、不思議の国のアリス的な世界観のようなものがオープンになっていたので、どれだけ一見して理解を拒みたくなるような気持ち悪い、おどろおどろしいものが出てくるのかなとビクビクしていたのですが、出てきたものは私が嫌いという意味でwell-madeなMVで肩透かしでした。肩透かしでしたがMVの最後に表示される「Meaningless」を思うと、このMV自体に何か特別な意味があるわけではない、crazyについての皮相的な表現に過ぎないということなのでしょうか。あとEP全体に言えることとして、この期に及んで、girly girlを演じるのはかなり酷だと思う。
3曲目のPierrotはちょっとよく分からないです。計画がないとか人の忠告を聞かないとかそういうのは、その情報だけだと、短絡的過ぎて、crazyでもなんでもないというのが私の見解です。
4曲目の1-800-hot-n-funは全部英語の歌詞でした。ここに出てくる「SAKI」というのは「咲く」→「피다(피어요)」という連想で、サクラ、もしくはピオナ(FEARNOT)を意味するニュアンスが込められているんでしょう。アメリカのダンスグループを連れてきたり、EDMテイストやハウスミュージックをリードに据えながら、この曲を結構テレビではパフォーマンスしているようで、Perfect Night以降のアメリカ市場を見据えている感じが、今回のEPにも出ているのかなと感じました。
そして、EPの最後を飾る5曲目、Crazierです。この曲だけ、韓国語で「미치지 못하는 이유」というタイトルがあって、日本語訳すると、crazyにはならない理由と訳すことができるんですね。そして、この曲のクリエイターに名前を連ねているホ・ユンジンがApple Musicではこの曲の紹介文を寄せているのですが(他のメンバーもそれぞれ1人ずつ、曲についてメッセージを書いています)それがこのEPの全てを語っているといって過言ではない、と私は思いました。以下、そのキャプチャです。
"crazy"の不在。
これによって1-4曲目まで描かれてきたものは、それぞれがひとつの解釈に過ぎないものであり、それぞれの曲が提示したcrazyは視聴者にとってはナンセンスである(これは既に2曲目のMVにおいて「Meaningless」と提示されていたわけです)、この曲によってこのEP"CRAZY"は無化(哲学における意味ではない)されます。誰彼無しにcrazyというEPに掲げたタイトルとグループとの間との距離感、居心地の悪さに気づいていて、最後にこの曲をぶち込んできたのだとしたら、めちゃくちゃ熱いですね!!!これは120%私の妄想ですが。
でも、ユンジンがわざわざこういうコメントを寄せていることを思うと、少なくとも、ユンジンにとっては、本来あるべきスタイルとしての"crazy"を他4曲では伝えきることができていない、(EPタイトルや楽曲としての)「CRAZY」ではない何かが本当はあるということを私たちは伝えなくてはいけないのではないかという問いがあったのだろうという妄想くらいは許される余地があるのではないか、というのが、私の素直な気持ちです。
この曲がなければ、このEPは救いようがない、独善的な作品になってしまっていたと思います。ユンジンありがとう。
いや、それにしても、全体的に好きになれそうにないEPですし、LE SSERAFIMの強火ペンの方々には到底受け入れることができないというか、お前は間違ってるといった内容だとは思いますが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
では、ごきげんよう。