k-pop(第4世代)に関する雑感

NewJeansがただの既存のk-popへのカウンターだったら反感を買って絶対ウケないと思う(いつだって世界は保守的だから)のですが、彼女らの人気の1つにルックス、ファッションがあって、MMAのような授賞式だろうとフォーマルなドレスではなくストリートファッションで出演するし、クリスマスライブだろうとオーバーサイズのスポーティなデザインのスリットにグレーのスカート、ハイソックスとローファーで出演する、権威的なものからの自由さがあるからだと思う。そういう自由さは、クリスマスのティーンの日常を正確に切り取っていて、共感を呼ぶ。そして、Dittoのような恋とも夢とも幻とも憧れとも思い出ともとれるような詞とMVによって、k-popの新しい扉が開かれたわけですよねえ、皆さん!?!?!?!?

というツイートを自分でしていた。そうかもしれないし、そうでもないかもしれないという気がした。ただ、この辺りを書こうと思うと、k-popを韓国における女性の立場の変遷と、k-popがどのようなマーケットにリーチしようとしていたか、また、そのときのファッションや楽曲についてもちゃんと分析しなくちゃいけないなという気がした。

自分の中で、NewJeansを特別扱いしてしまうのですがその気持ちは日に日に強くなっていて、なぜかというと、私の中でLE SSERAFIMのPerfect Nightがかなりショッキングで(前も書いたかもしれない)、それのコントラストとしてNewJeansが見えてきたというのがあります。多分、こんなことを感じているのは私だけかもしれませんが、アメリカ市場でどのように勝負をするかというのは日本や韓国とは全く違う戦略が必要だということは漠然と分かっていて(私にとって宇多田ヒカルが印象に残っている)そのためにどのようなアプローチするかに強い関心が私はあるのだけれど。なんというか、変わることに抵抗感はないのだけれど(私自身、音楽的に飽きが早い人間だと思う。似たような楽曲ばかり出されると慣れるし、パッケージ化されたどこかで聞いたような展開の楽曲には興ざめする)大事にしていた部分を曲げて欲しくないという気持ちがある。

 

LE SSERAFIMはk-popアーティストという概念をまといながら、アメリカ市場でウケる楽曲とルックスで売ろうとしたために(私の中では)歪なものになったことに対して、NewJeansはk-pop市場で勝負はしていたけれど、k-popというジャンルにとらわれることなく(とは言いつつ、10代で制服ライクなMVでごりごりの1stEPは作っていましたが。だから私はそれがあまり好きじゃない。でも、めちゃくちゃ楽曲のクオリティ高いからそこ含めてつかみはこれというかたちでマーケティングしていた気がする。本当に恐ろしい)、パワパフのようなアメリカのカルチャーを取り込んだポップスも活動の中で作っていたから、自然にアメリカ市場にも参入できたので、私の中では、なんかもやもやしているんですね。

 

aespaのSpicyなんかは、MV見てもアメリカナイズドされているような学園風景だったり、(G)I-DLEは2018年のK/DAに参加していたり、HEATを全曲英語でリリースしたりと、(私はk-popの第三世代以前の動きは一切分からない。TWICEが英語シングルを出しているのでそういう活動をしていることは把握していて、他にもBLACKPINKがブルームバーグで評価されたりしているが、あれは生き方とか価値観みたいな、政治的、社会的な文脈の中にあると感じている。だからこそ、k-pop、少なくともガルクラというものを正当に評価しようとするときには、韓国における女性の社会的地位の変遷、みたいな軸は1つ必須だと思う。でもそんなことを大真面目にやろうとする人間なんていないと思う、アイドルが好きということ自体と向き合わなくてはならなくなりそうだから。私が、こうやってブツクサ書けるのは、基本的に人間に興味がなくて、人間が生み出したもの(作詞とか作曲とか)に興味があるからだと思う)個人的には、結構面白いな、応援したいなということがあるので、自分の中ではちゃんと整理していきたいなとぼんやり感じています。

 

さっき、更新したものの続きにこれを書いていたのですが、この内容だけで長くなりすぎてしまったので分割することにしました。

 

では、ごきげんよう。(2回目)