月曜開始

朝から山手線が止まっていて大変だった。普段なら30分くらいで着くところが1時間以上かかった。つらかった。

 

今日は先ほどなかやまきんに君の動画を見ながら身体を動かしました。3日ぶりくらい?毎回やる度に汗だくになるのですが、やり慣れて、物足りなくなるという境地まで達することができる気がしません。こんなことで俺はいいのだろうか。少なくとも10分程度身体を動かすのはマイナスではないでしょう、急にランニングを始めたり、過度な運動をすると逆に負担がかかるみたいなことを聞いたことがあるけど、短い時間でトレーニングというよりは有酸素運動だからきっと大丈夫。ちなみにやってるのはこれです。

www.youtube.com

これで余裕が出てきたらこれに加えて別の動画もやろうと思っていますが、余裕ができる状況になるのだろうか。この動画も、腰痛とかがひどくて探してみたら出てきたので(加えて私がなかやまきんに君が好きなので)やっています。とりあえず、週4日以上、平日はやりたい。そうすれば土日はゴルフスクールで身体を動かしたり、整体に行ったりするからバランス(?)がいいと思う。

 

國分『目的への抵抗』を読み始めました。コロナ禍において、行政が国民の行動を制限した点ついて、思想家としては至極真っ当なことを言っているように感じていたアガンベンの論を紹介して、行政に対して抵抗する(コロナ禍において感染拡大を防ぐという目的のために立法を超えた立ち位置から行政が自由に制限を加えるということに対して抵抗する)ことを紹介していました。これはそのとおりで、多数派がそうだよねと納得したとしても、思想家もしくは政治家(の一部)は疑問を付すべき事態だと私は思っていたし、むしろ、そうした言説が出て来ることが健全だと感じていたので、これが結構反発を食らっていたのはちょっとびっくりしたし、当時のドイツ首相のメルケルの発言を引いて、(東西ドイツの統一を背景に)移動の自由というのは貴重な自由の1つあることを理解しながらも、なお、そこに対して国民に協力を求めるというのは真っ当(でもありながらかなり緊張感がある。なぜなら目的を完遂するために自由が侵害されることに対して理解を示すことが自由を制限する正当な理由にはならないから)だなという気がしました。

が、大衆からすると、コロナなんだから当たり前だろ、みたいなことが当然のような空気になっていたのは、私自身、異様だなあとは思っていました。ただ、私はなんというか、そういうマジョリティをけしかけたいという気持ちでムクムクとなっただけであり、思想的に正しくないし、何か純粋な気持ちからではないのですが。

ただ、自由や権利の制限というものは、周囲も自分も我慢するから受け入れる、だとか、自分の自由や権利は制限されないのだから、そこで共同戦線を張らないというのは間違いなく悪手であり、気が付いたら味方になってくれる人がいなくなっていたということを避けるためにも、他人の自由が侵害されそうなときには場合によっては協力しなくてはいけないのですが、それが特権とか、なんだとか言われて、あれよあれよと気が付いたらおしまいになるのは避けたいなあと思いながら読み進めています。

やっぱりこの手の本だと私は新書より単行本を読みたくなるなあと思う一方で、優れた書籍を調べるツテがないのがなんともはがゆい。

 

では、ごきげんよう