映画パプリカを見ました

今日は昼に映画パプリカを早稲田松竹で見るつもりだったので午前中にゴルフスクールを入れました。最近ちょっとずつ先生がおっしゃっていることが身体でも分かって来たと思っていたので、良い感じなのでその調整でお願いします!と言われるかと思いきや、フォームに新しい動きを入れることになり、フォームが永遠に固まることがなく、常に不安を抱えながらスイングをすることになっています。今回は捻転をさらに加えるというミッションでした。そのため、私がスイングのときに意識しなくちゃいけないことが4つに増えました。バックスイングのときにインサイドに入らない、バックスイングのときに右腕を畳む、スイングをするときに軸をイメージして身体全体で振りぬく、バックスイングのときに思い切った捻転をする(NEW!)。

 

今年は今敏が生誕60年でちらほらと今敏作品の上映がされているようなのですが、13時のパプリカは滑り込みでチケットを取ることができました。1時間前に行きましたが、すぐに満席になっていました。危なかった。パプリカは1度は見たことがあるので、多分、2回目か3回目の視聴だったと思う。私は人の感想や批評を基本的に読まないから言われ尽くしたことなのかもしれないですが、今敏の作品には物質的にはないが在るもの、目に見えないが、ときに見える以上に影響がある力を描いていたのかなと思いました。プラスマッドハウスを買って読んでみようかなあ。

他人の夢に介入するという今までできなかったことを可能にする技術を純粋かつ無批判に追いかける天才科学者、その機械を利用することで精神医療をより良いものにしようとするセラピスト、夢の世界は本来不可侵なものでありその聖域を侵すものを快く思わない下半身不随の権力者、天才科学者に嫉妬している咬ませ犬による物語の駆動。ぼんやりと、見終わったときには、医療の発達によって、夢への憧憬や回帰、理想やイメージを現実化させるという動機は薄れていくのではないかと感じたのだけれど、少し考えてみると、攻殻機動隊的な世界ではないが、肉体的な老いがクリアされることであったり、そもそも自分の精神と肉体が宿っているものとは何かということであったり、技術だけでない問いもその辺りには混在していそうで、だからこそ今見ても物語としても面白く感じることができたのだろうなと思いました。エンタメの画としても面白いし、声優も魅力的ですし、あらためて見て良かったなと思いましたし、自分はまだこういうものを楽しむことができると実感できたのも良かったです。

 

メンタルがやられた人であったり、最近だとコロナの後遺症ってそういうのに似ているなと思うのですが、食事の味がしないとか、話の面白さが分からないとか、そもそも目の前のものを筋道立てて頭の中で整理することができないとか、文字は読めるけど文章を解釈できないとか、論理的に自分の考えを整理することができず言葉が出てこないとか、そういう時間が1年の中で占める割合が自分には増えてきているのを感じていて、そういうものに手を出すことに躊躇するようになってきたこと、そもそもあまり調べないようになってきたこと、でも、だからこそ、コンディションが良いときにはそういう機会を作らなければならないのではないかということを感じるようになってきています。旅行をするようになってきたのもその一環で、風景を見て美しいと思う感性が死なないうちにやらないとと思い始めました。そして、これは感性、精神だけでなく、肉体的な制約もあることを思うと尚更です。でも、そのうち、何気なく私たちがスマホとかで撮った画像が機械学習されることで、何年何月何日何時のあの場所というのは、かなり正確に再現される(正確に再現することに価値があるのかということは置いておいて)ことになるのだろうなあと思います。こんなことを考えているのは恐らくインターネットフォロワーのブログを読んだからかもしれない。

 

夕方に整体に行った。まだ左肩が痛いということを伝えて、左肩を中心に調整してもらった。ただ、まだ痛みがある。今週も続くようであれば、整形外科に行ってレントゲンでも撮ってもらおうかと考えている。その後、家族と食事をとった。

 

そんな感じです。では、ごきげんよう