YSL、寿司、バー×3

今日は午後休でYSL展を見てきました。新国立美術館に行ったのいつぶりだろうって思いましたが、庵野秀明展見に行ったから割と最近だったかもしれない。内容はとてもよかった。まず、デザインの絵が平面的なのが衝撃だった、そして平面的であり、線が少なく、直線が多いという印象を受けた。現代において、洋服に限らず、デザインする人間とそれをかたちにする人間の分業化が進んでいるので、モノを作るための技術を持っていないデザイナーが多いわけですが、彼は自分で服を作れたので、実際に服を作れば服に関する情報は伝わると考えていたのかもしれないと少し思った。であれば、スケッチなど必要ないので、そんなことはないと思うのだけれど。どちらかというと服に関する細かな情報を伝達する手段としてではなく、腕や足の長さに対してどの程度のものかというところを考えていたのかもしれない。だから、紙に書く行為とその狙い、服を作る行為とその狙いは彼の中で、分離していた、というか、紙に書かれたものに対する美的価値観と服として作られたものに対するそれが全く別物だったんだと思う。そういう意味で、彼がウォーホルやモンドリアンマティスに着想を得るということ、「LOVE」のデザインとして出て来るものが、ぼんやりと自分の中で符合した。

また、彼の中で服の形は一部の奇抜なデザイン(マトリョーシカに着想を得た奇抜なウェディングドレスとか)を除いて、多くなくて、決まった形の中で、素材は何を使うか、とか、どのような色を使うか、とか、そういうことを考えながら服を作っていたのではないかと感じた。だから、アクセサリーやオートクチュールの装飾の多様さが展示として機能するというか。これを強く感じたのが、他国で着想を得た洋服のデザインで、使用している素材、その見せ方は新しいものだったのだと思うのだけれど、私は異国的情緒を感じるというより、そこに変わらない彼の洋服のかたち、みたいなものを感じた。だから、多様ではあるのだけれど、奇抜なデザインでは全くなくて、同じ洋服として感じることができる、彼の作る服には不変的なかたちとしてのデザインがあるのではないかなと思いました。うーん、だから例えばモロッコに着想を得たものをみても、洋服がモロッコですっていう主張をしていない。中国、ロシアのやつにはそういうのを少し感じたかなあ。やっぱり、これはYSLだよねというところにおおよそ落ち着く、安心感がある。じゃあ、プレタポルテが似合う人なのかと言われるとそんなことは全然なくて、YSLのガチガチの土台の上に、驚異的な職人たちによる異常なクオリティのものが乗っかっているのが凄く良いなと思いましたし、受け入れられたのだなと解釈しました。印象に残っているのは、1958SSトラペーズラインの品行方正シャツドレス、1984年AWのイブニングアンサンブル(自分の中ではYSLといえばこれという気持ちがある)、1967年『昼顔』セヴリーヌ・セリジーのドレスです。特に昼顔のドレスは、これは私がYSL展の中で洋服を見て、唯一服のデザインから服以外のイメージをもった作品なので、印象に残っています、綺麗とか清楚とか清潔とか、そういうことを服で表現しようとしているのかなと感じました。ちなみに『昼顔』のセヴリーヌ・セリジーは売春婦になるのでそのイメージとは真逆のことになるのですが。つまりそうあろうということで、抑圧されていることまで表現しようとしている、はず。なんてこったい。ミニトートバッグを買いました。隣で女性客が小さいトートバッグは買っても使わないんだよねみたいなことを言っていましたが、使うから。文庫と財布とスマホだけでフラッと外出したいとき、私は今だと必ずジャケット(ポケットがあるから)を着ているけど、それをしなくてもよくなる。ちなみにYSL展を見に行こうと決めたのは、私が好きなヘリンが確かディオールビューティーのアンバサダーで、YSLはディオールの下で働いていたからです。

 

その後はインターネットの古くからの友人が大学院に合格したので寿司を奢りました。2人で食べて2万円行かないとかいう驚愕の安さ。自分一人ではなかなかいかない(行ったことがある店なのと、もっと高価格帯で行ってみたい店が現状いくつもあるため)のだけれど、あの値段であのクオリティはやはり凄い。

 

その後はゴジラを飲み、ポートワイン10年3種類を比べて飲み、閉店後のマスターと世界の果てで1杯飲みました。楽しかったです。

 

では、ごきげんよう