『君たちはどう生きるのか』を見ました

眼科に行ってゴルフの練習に行って整体に行って映画を見てきました。意味不明なくらい汗かいた。明日の朝には干からびてるかもしれない。

 

別に映画の核心に触れるつもりはないとは思いつつ、書いてたら普通に書いちゃいました。てへ。念のため、ワンクリック挟ませていただくことにします。

あとページに直接飛ぶとワンクリックを挟めないようなのでたくさん改行します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の中で『風立ちぬ』が宮﨑駿の生き様というか価値観というか行動原理みたいなものだと解釈していたので、それを超えるような作品が出てくるとは思っていなくて、ただでさえ説教臭さが漂うタイトルであり、逆張りをして後悔をすることが趣味の精神的マゾヒストからすると、見に行かないでいいかなと思っていたのですが、ツイッターでフォロワーが、覚えてはいないが1歳の頃にナウシカを映画館で見ていて、この時代に(恐らく長編映画として最後になるであろう)君たちはどう生きるかを見るということをあらためて考えると感が情する、といったことを呟いていて、確かにそうだなあ、テレビで見るお馴染みの作品、過去の名作として後追いで見た作品の多くを映画館で見る機会というのは意外と来ないということを思うと、見に行くかということを思いまして、見てきました。

以前に書いたと思うけれど、映画が好きなツイッターのフォロワーと映画を見に行ったとき、混んでいたから最前列だか2列目の席を取って、本当はもっと見やすいところが良かったんですけどという話をしたら、映画って昔は見上げてみるようなかたちだったんで私は映画を見るときに結構好んで前の席を取るんですよということを言っていて、そういうものなのだなあと思ってから前の席を取ることに抵抗感がなくなり、今回も最前列のど真ん中で見ました。

 

作品が始まる前の広告が異様に長く感じたことと公演30分くらいしてから隣に座ったおっさんが酒臭かったのを除けば良かったです。面白かったかと言われると正直疑問です。話のイントロの空襲のシーンから、風立ちぬの東京大震災に勝るとも劣らない描写だったので、やっぱり戦争と戦後の復興が監督の原風景なのかな、それを描く作品なのかなと思いましたが、全然違いましたね。しっかりファンタジーでした。

空襲で母を亡くした主人公が父とともにした疎開先(疎開ではないが)で再婚したのは母とうり二つの妹。主人公の新しい母親である人物は身ごもっていたのだが異世界に連れていかれる。主人公は彼女を元の世界に戻すために異世界に足を踏み入れるのだが、出会ったのは若返った疎開先の老女中であり、異能を操る若かりし日の母であった。

 

何を書きたかったのだろうと考える。

 

話としては父の再婚相手であり母の妹である新しい母を取り戻すことであるのだが、はっきり言って良いことない。父は母の妹をどうやら愛しているようだし、身ごもっていて母としての愛情が恐らく主人公に向くことはない。そして、母によく似た新しい母のことを疎ましく思っているのも間違いない。異世界で出会った母との時間は時間軸は違えども主人公にとっては本来失ってしまった時間だと思う、実際、別れ際に主人公が名残惜しむ台詞を言っていた(気がする)、なんか死んじゃうんだよ?みたいなこと。でも、お前生めなくなるから!っつって自分の世界線に戻る母。そのようなものを通じて描きかったのは、宮崎駿にとって母というのは強大で偉大な存在であったことと、その母との別れをこの映画を通じて表現したのだろうと思います。私は概ね、村上隆の見立てが正しいと思いました。異世界を破壊し、現実の世界に戻ったときに生まれ変わったのでしょう。

 

主人公を産んで早々に死ぬことが分かっていても、子どもを生むために自分が死ぬ未来を選び取るということは、自分なりにいろいろな物語を手に取ってきたつもりでありますが、そもそもの選択肢に入ってこない(私がよく見るものが男性の主人公であり、男性の選択となるとどうしてもオイディプス的になるからだと思いますし、そもそも、男が子ども産めるのは脳内彼女の作品位だから......)もののように思うのと、女性主人公が前途多難だけど生きていこうというもの描いてきた(と思う)駿にここまでのものを書かせる、言わせるというのは、母の存在、デカ過ぎんだろ......。異世界=映画の中での母との交流を通じて、死別を受け入れること、母がいない世界を生きていくということを80代にして選び取るというのは、破格なのか、規格外のマザコンなのか。恐らく両方でしょう。その母の選択を無下にしないためにも、主人公は元の世界に戻る。絶対、うまくいかないと思う、家族関係。でも、ともに過ごした時間が支えに生きていくことを選択する。

 

主題歌を提供した米津玄師は以下のようなツイートをしていました。

「「地球儀」は「君たちはどう生きるか」の為の曲であり、わたしが今まで宮﨑さんから受けとったものをお返しする為の曲でもあります。今まで映画を作り続けてくれてありがとうございました。そしてこれからもずっと作り続けてください。」

頭が悪い感じで読むと、影響を受けたクリエイターの1人1人の中に駿がいて、その駿が作品を作るときのリファレンスの1つになって、作品を作り続けていくんだからなみたいなメッセージなのかなと思いましたが、よくよく思うと、純粋に、文字通りに、生まれ変わった駿にこれからも作品を作って欲しいと本気で思ってると思いました。米津玄師、怖い。

 

エンディングで綺麗な空色のバックに白い文字が流れてきたときに感極まってしまったのだが、今思えば(これが遺作......)って頭の中でなっていました。まだ死んでねえわ。なので、あれは、なんか、映画のエンディングじゃなくて、作家人生の幕引きの演出って思ってしまいました。生きてるけど。早く配信で地球儀が聞きたい。正直、あの余韻で、普段聞いている好きなアーティストを聞く気になれず(基本的に映画を見た後は難しい)、たまたまダウンロードしていたM八十七を聞きながら、帰宅しました。

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めっちゃ月並みですが、シン・エヴァゲリオンで鬱を乗り越えて大人になることを描いたり、水星の魔女で愛はあらゆる障害を超えたりする中で、このタイミングでこの作品が出てきたというのは、文化的な豊かさ(は?)を享受させていただいているなあという気持ちになり、幸せな時代を生きさせてもらっているなあという気持ちになりました。無論、文化が栄える時代は、政治的に不安定な時代と言われますが......。

 

これからシャワーを浴びて寝ます。では、ごきげんよう